東京アラサーOLの頭の中

東京都内でゆるく働くアラサーOLです。日々考えていることを思いのままに綴っていきたいと思います。

頑張ることをやめたら人生が楽になった話

 

20代の頃の私は、苦手なことも無理して頑張ってばかりいました。

 

なぜなら、それ以外の方法を知らなかったから。。

  

私は、社会人になって4~5年目まで、「私は頑張り続けないとあっという間に堕ちてしまう」と思っていました。

 

いつも、自分を自分で認めてもいい基準は、「上位20%以内かどうか」でした。

 

その基準が出来上がったのは、高校生時代の毎日がきっかけだと思います。

 

 

中学生までは特に勉強を必死に頑張らなくても、それなりにやっていれば成績優秀な生徒でした。

勉強は嫌いじゃなかったし、やった分結果に反映されるので、楽しんで勉強していたと思います。

 

しかし高校で進学校に行った私は、なぜかトップクラスに入ってしまい、、、周りは私と比べ物にならないくらい頭のいい人ばかり。

 

勉強をどれだけ頑張っても、頭がいい人クラスメイトたちにはかなわず、必死に頑張ってやっとギリギリ追いつけるという感じでした。

 

そのような環境で3年間を過ごした私は、高校を卒業してからも、社会人になってからも、「上位20%以内でなければ失格」という基準を無意識のうちに自分に課していました。

 

「頑張らなかったらあっという間に転落する」と自分を洗脳し、苦手なことは少しでもマシになるように頑張り、得意なことは誰よりも伸ばすようにし、周りからも「本当に向上心があるね」と言われるくらい何かを頑張っていないと不安でした。

 

でもいつも苦しかったし、いつも欠乏を感じていて、幸せじゃありませんでした。

 

人と比べて自分の足りないところを見つけては落ち込み、その不足を埋めるようにまた頑張る毎日なのです。

 

ある時、ふと「私、いつまで頑張ればいいんだろう。」と思いました。

 

「頑張って手に入れられても、うれしいのは一瞬で、次の瞬間にはまた不足しているところはないか探している・・・全く幸せじゃない。」と。

 

「こんな生活を死ぬまで続けるのだろうか?いつになったら満足するんだろう。。」

 

 

そんなことに悩んでいた時、たまたま出張に来ていた父親と話す機会がありました。

 

「上位20%がいつも私の基準となっている」という話を何気なくしたところ、

 

「え?今までそんなこと考えてたの?人と比べたって無駄だよ?」と驚いたように言われました。

 

私は自分の考えがまさかそんなに驚かれることだと思っていなくて、むしろ父親はそんなこと考えずに今まで生きてきたんだ・・・と思ったら、なんだか自分自身が笑えてきて、 

「考えすぎて頑張りすぎている私より、そんなこと考えずに毎日楽しそうに生活している父親の方が圧倒的に幸せそうじゃん(笑) なーんだ、世の中の人って、そんな風に自分のことそんなに追い込んでないんだ。人と比べることがそもそもの間違いなんだ」と、今までの価値観がガラガラと崩れるというか、なんかすごーく楽な気持ちになったのです。

 

そんなきっかけから、30歳を間近にして、どんどん自分に与える負荷を手放していくようになりました。

 

人と比べず、人ではなく自分の価値観を重視して、自分の心の声にゆっくりと耳を傾けるようになりました。

 

人と比べていては、一生満足なんてできません。

上を見ればきりがないし、そもそも他の人が欲しいものを自分が欲しいとは限らないからです。

 

20代でこのことに気付けてよかったです。

あらゆる呪縛から解放されて、苦しんでいた20代より圧倒的に30歳になった今の方が幸せです。

 

これからも、自分との対話を繰り返しながら、私らしく人生を歩んでいきたいと思います☆

 

読んでくださりありがとうございました。